高等教育無償化政策下における大学の機能分化・序列化と教育格差への影響に関する考察
はじめに
高等教育へのアクセス拡大を目指す大学無償化政策は、教育格差の是正に貢献すると期待される一方で、高等教育システム全体に様々な影響を及ぼしています。本稿では、この政策が大学間の機能分化や序列化に与える影響に着目し、それが教育格差の変容とどのように関連するのかについて専門的な観点から考察いたします。大学無償化が学生の経済的負担を軽減することで進学行動に変化を促し、結果として特定の大学への志向性が高まる可能性や、逆に多様な大学へのアクセスを促進する可能性が考えられます。これらの変化は、大学の経営戦略、教育内容、研究活動の方向性に影響を与え、大学間の機能や質の差異を拡大あるいは縮小させる可能性があります。
大学無償化政策と学生の大学選択行動
大学無償化政策は、特に経済的に困難な状況にある世帯の学生にとって、大学選択における経済的な制約を緩和する効果があります。これにより、これまで費用を理由に進学を断念していた、あるいは自宅から通学可能な範囲の大学に限定していた学生が、より多様な選択肢を検討できるようになることが期待されます。
しかしながら、政策における所得制限や学業成績要件といった基準の存在は、全ての学生が等しく恩恵を受けられるわけではないという側面を持ちます。また、支援対象となる大学種別（例えば、国立・公立か私立か、大学か専門学校かなど）によっても、学生の選択肢やインセンティブは異なってきます。
経済的負担の軽減が、学生の認知度や評価が高いとされる特定の大学、特に難関大学への志望者を増加させる可能性も指摘されています。これは、経済的理由が障壁となっていた層にとって、これらの大学への進学が現実的な選択肢となるためです。一方で、地方の大学や特定の専門分野に特化した大学においては、学生募集に影響が出る可能性も考えられます。このような学生の選択行動の変化は、大学間の競争環境を変化させ、結果として大学の機能分化や序列化を促進あるいは再編する要因となり得ます。
大学の機能分化・序列化への影響
大学無償化政策は、大学経営にも影響を与えます。授業料収入への依存度が高い私立大学においては、政策による学生納付金の減免分を補填するための運営費交付金等への依存度が高まる可能性があります。これは、大学の財務構造を変化させ、教育・研究投資の優先順位に影響を与える可能性を秘めています。
学生の大学選択行動の変化、特に特定の大学への志向性の高まりは、大学間の入学者選抜における競争度合いを変化させます。評価が高いとされる大学にはより多くの志願者が集まり、選抜がさらに厳格になる傾向が生じるかもしれません。これは、大学の「序列」を強化する方向に作用する可能性があります。
同時に、全ての大学が同じように競争するのではなく、それぞれの強みや特色を活かした教育・研究機能に特化しようとする「機能分化」も進むと考えられます。例えば、研究大学としての機能強化、特定の専門職養成に特化、地域貢献に重点を置くなど、多様な方向性が考えられます。大学無償化が、学生の多様なニーズに応えるべく、このような機能分化を後押しする可能性も否定できません。しかし、この機能分化が、教育の質や提供される機会の「格差」拡大に繋がるリスクも内在しています。特定の機能に特化した大学が、十分な教育資源や機会を提供できない場合、そこに入学した学生の教育機会が限定されてしまう可能性があります。
教育格差の変容：機能分化・序列化との関連
大学の機能分化や序列化の進行は、教育格差に新たな側面をもたらします。
第一に、特定の「序列が高い」とされる大学へのアクセス集中は、入学段階での選抜格差を強化する可能性があります。経済的負担が軽減されても、入学試験における学力格差や、入学準備段階での教育投資の差（例：予備校や塾の利用度）は依然として存在します。無償化によって難関大学を目指す層が増加すれば、その競争はさらに激化し、入学段階での選抜が教育格差を固定化する要因となりかねません。データからは、高所得者層ほど入学前教育に多額の投資を行う傾向が示唆されており、無償化だけではこの構造的な問題を解消することは困難です。
第二に、機能分化が進んだ場合、提供される教育内容や質に大学間で差異が生じます。特定の機能に特化した大学の教育が、必ずしも学生の多様なキャリアパスや学びのニーズに合致しない場合、卒業後の進路や社会的流動性に影響を与える可能性があります。例えば、研究機能が限定的な大学に進学した学生は、将来研究職を目指す上での機会が限られるかもしれません。また、地域に根差した教育を行う大学は地域貢献に強みを持つ一方で、グローバルなキャリアを目指す上では不利になる可能性も考えられます。このように、大学の機能分化は、学生が獲得できる知識、スキル、ネットワークといった教育資本の差異を生み出し、新たな教育格差を形成する可能性があります。
第三に、大学の序列化は、卒業後の労働市場における評価にも影響を与える可能性があります。特定の大学の卒業生が有利な就職機会を得やすい状況が続けば、大学無償化によって大学へのアクセスは向上しても、最終的な社会的・経済的地位における格差は温存あるいは再生産されることになります。
課題と今後の展望
大学無償化政策が大学の機能分化・序列化を通じて教育格差に与える影響は複雑です。経済的障壁の低下は機会均等に寄与する側面がある一方で、入学前教育の格差、大学間の教育内容・質の差異、そして労働市場における評価といった要因が、新たな、あるいは既存の教育格差を温存・強化する可能性も十分に考慮する必要があります。
今後の政策論議や研究においては、以下の点が重要となると考えられます。
- 大学間の連携と多様性の保障: 単なる序列化を避けるため、大学間での単位互換や共同教育プログラムの拡充、特定の機能に特化した大学が多様な学びのニーズに応えられるような支援策が必要です。
- 入学前教育への支援強化: 大学入学段階での格差を是正するためには、無償化と並行して、高校までの教育における格差是正、特に経済的に困難な家庭への早期からの教育投資支援が不可欠です。
- 教育の質保証と情報公開: 機能分化が進む中でも、全ての大学で一定水準以上の教育の質が保証される仕組みが必要です。また、大学ごとの教育内容、特色、卒業後の進路に関する詳細な情報公開を徹底し、学生が自身のキャリアプランに基づいて適切な大学を選択できるよう支援することも重要です。
- 卒業後の追跡調査と評価: 大学無償化政策の長期的な効果を評価するためには、卒業生の進路、キャリア形成、所得水準などを追跡調査し、大学の機能や質がその後の人生に与える影響を詳細に分析する必要があります。
まとめ
大学無償化政策は、高等教育への経済的アクセスを改善し、教育格差是正に一定の効果をもたらす可能性を秘めています。しかしながら、その影響は大学の機能分化や序列化といった高等教育システム全体の構造変化と密接に関連しており、必ずしも教育格差の全面的な解消に繋がるわけではありません。特定の大学への学生集中による入学段階での選抜格差強化や、大学間の教育内容・質の差異による卒業後の機会格差といった新たな課題も生じ得ます。教育格差の真の是正を目指すためには、無償化政策の効果を継続的に検証するとともに、入学前教育への支援、大学間の連携強化、教育の質保証など、多角的なアプローチを組み合わせることが不可欠です。本稿が、教育格差と大学無償化に関する今後の研究や政策立案の一助となれば幸いです。