教育格差と大学無償化

大学無償化がもたらす教育格差の変容:入学後の学業・進路における新たな論点

Tags: 教育格差, 大学無償化, 高等教育, 学生支援, キャリア形成, 社会的流動性

はじめに

大学無償化政策は、経済的な理由による進学断念を減らし、高等教育へのアクセスを拡大することで教育格差の是正に寄与することが期待されています。しかしながら、教育格差問題は入学機会の不均等性のみに起因するものではなく、大学入学後の学業の継続、学習成果、そして卒業後の進路選択やキャリア形成といった、より長期的なプロセスにおいても存在します。本稿では、大学無償化政策が入学機会を均等化する可能性に触れつつも、その政策が教育格差に与える影響を、入学後の段階に焦点を当てて深く掘り下げ、新たな論点を提示することを目的とします。

大学入学前における教育格差の構造と無償化政策の役割

大学入学以前の教育格差は、保護者の社会経済的背景(SES)と強く関連していることが、国内外の多くの研究で示唆されています。具体的には、高SES家庭の子どもは、より質の高い初等・中等教育機会へのアクセス、家庭での学習環境、学習支援(塾・予備校等)、進路に関する情報アクセスの優位性を持つ傾向が見られます。大学無償化政策、特に所得制限を伴う形で設計された制度は、経済的な障壁を低減することにより、低SES家庭の学生が大学へ進学する機会を拡大する効果が期待されます。これは、入学機会の均等化に向けた重要な一歩であると考えられます。

しかし、入学機会の拡大が、必ずしも教育格差の完全な解消を意味するわけではありません。教育格差は、単に「大学に入れるか、入れないか」だけでなく、「どのレベルの大学に入れるか」「大学でどのような教育を受けられるか」「大学で何を学び、どのような成果を得られるか」「卒業後どのような進路に進めるか」といった、質的な側面やその後の展開にも深く関わっているからです。

入学後に顕在化する教育格差の要因

大学無償化によって経済的負担が軽減され、多様な背景を持つ学生が進学するようになると、大学入学後に新たな、あるいはこれまで見過ごされがちであった格差要因が顕在化する可能性があります。主な要因として、以下が挙げられます。

  1. 学習資本・社会関係資本の違い:

    • 家庭環境や出身階層によって培われた学習習慣、基礎学力、知的好奇心、非認知能力といった「学習資本」には差がある場合があります。
    • 大学での学習は、高校までとは異なる自律性や探求性が求められるため、これらの学習資本の違いが学業成績に影響を与える可能性があります。
    • また、家庭やこれまでのネットワークによって培われた「社会関係資本」(人脈、情報アクセス、ロールモデルの有無など)も、大学生活や卒業後の進路選択に影響を及ぼし得ます。
  2. 学費以外の費用負担:

    • 大学無償化は学費を対象とするものですが、実際には生活費、教科書・教材費、通学費、課外活動費、パソコン等の購入費など、学費以外の負担が無視できません。
    • 特に地方から都市部の大学へ進学する場合、一人暮らしに伴う生活費負担は大きく、これが学業との両立を困難にしたり、十分な学習時間や課外活動の機会を奪ったりする可能性があります。
    • 経済的に困難な学生は、アルバイトに多くの時間を費やす必要があり、これが学業への集中を妨げる要因となり得ます。
  3. 大学内の支援体制の利用格差:

    • 多くの大学には、学業支援(チューター制度、ライティングセンターなど)、キャリア支援、奨学金以外の経済支援、メンタルヘルス支援など、様々な学生支援プログラムが存在します。
    • しかし、これらの支援制度に関する情報が十分に学生に届いていなかったり、支援を求めること自体に心理的なハードルがあったりするため、支援が必要な学生ほどアクセスしにくいという「利用格差」が生じる可能性があります。
    • 特に、家庭に大学進学経験者がいない学生(First Generation Students)は、大学の情報やリソースを活用する上で不利になりやすい傾向が指摘されています。
  4. 大学間・学部間の教育の質・機会格差:

    • 大学無償化制度の対象校には、国公立大学や特定の要件を満たす私立大学が含まれます。大学のブランド、提供される教育内容、研究環境、学生への支援体制、卒業後のキャリアパスにおける評判などは、大学や学部によって異なります。
    • 入学機会が拡大しても、学生が自身の希望や適性に関わらず、経済的な制約や情報不足から特定の大学・学部に集中したり、あるいは質の高い教育や豊富な機会を提供する大学へのアクセスが依然として限定されたりする場合、これが新たな格差を生む可能性があります。

教育成果とキャリア形成における格差への影響

これらの入学後の格差要因は、直接的に学業成績の差、休学・退学率の差、特定の学部・学科での学習継続の困難さ、そして最終的な卒業率の差に繋がる可能性があります。

さらに、卒業後のキャリア形成においても、大学入学前のSESが入学後の経験やネットワークを通じて影響を及ぼし続けることが考えられます。例えば、大学内で得られるインターンシップや研究プロジェクトへの参加機会、OB/OGとの繋がりといった要素は、就職活動において有利に働くことがありますが、これらへのアクセスや活用度合いにも格差が生じやすい構造があります。結果として、就職先の質、初任給、その後の昇進機会など、長期的な所得や社会的地位における格差が再生産される懸念が指摘されています。

大学無償化政策は、入学のハードルを下げることで教育機会の均等化に貢献し得ますが、入学後の様々な要因によって、教育成果やキャリア形成における格差が温存、あるいは新たな形で生じる可能性について、政策評価においては十分に留意する必要があります。

今後の課題と検討すべき方向性

大学無償化政策の効果を最大化し、真の意味での教育格差是正を実現するためには、入学機会の提供にとどまらない多角的なアプローチが不可欠です。今後の課題として、以下の点が重要であると考えられます。

まとめ

大学無償化政策は、教育格差是正に向けた重要な政策ツールであり、経済的な理由による大学進学の障壁を低減する効果が期待されます。しかし、教育格差は入学機会の提供だけで解消されるほど単純な問題ではありません。本稿で論じたように、大学入学後の学業継続、教育成果、そして卒業後のキャリア形成といった段階においても、多様な要因によって格差は再生産される可能性があります。大学無償化政策の効果を真に社会的流動性の向上に繋げるためには、入学後の包括的な学生支援、大学教育の質向上、そしてデータに基づいた継続的な検証が不可欠です。教育格差問題への対応は、入学前から卒業後、さらにその先のキャリア形成に至るまで、一貫した視点と多角的なアプローチが求められる複雑な課題であると言えます。