高等教育無償化下の学業成果格差:学生の学業成績と卒業率における教育格差の現れ方
はじめに
大学無償化を始めとする高等教育の経済的負担軽減策は、教育機会の均等化を目指す重要な政策手段の一つです。経済的な理由で大学進学を断念せざるを得なかった層に対し、進学への扉を開く効果が期待されています。しかし、教育格差の問題は経済的な側面のみに起因するものではなく、学力、非認知能力、家庭の文化的背景など、多様な要因が複合的に影響しています。特に、大学への「入口」における経済的障壁が緩和された後、学生が大学教育の過程で経験する学業上の困難や、最終的な「出口」である卒業に至るまでの道のりにおいて、教育格差がどのように現れるかという点は、政策効果を多角的に評価する上で重要な論点となります。
本稿では、高等教育無償化政策が導入された状況下で、学生の学業成績や卒業率といった「学業成果」に着目し、そこに教育格差がどのように現れているのかを分析します。経済的支援が学業成績向上や中退率低下にどの程度寄与しているのか、あるいは制度設計における学業成績要件が新たな格差を生み出す可能性はないのか、といった点について考察を深めます。
高等教育無償化政策と学業成果への潜在的影響
高等教育無償化は、対象となる学生にとって学費負担を大幅に軽減します。これにより、学生はアルバイトに費やす時間を減らし、学業に集中する時間を増やせる可能性が指摘されています。経済的な不安が軽減されることは、精神的な安定にも繋がり、学習意欲や学業へのエンゲージメントを高める効果も期待されます。理論的には、これらの効果を通じて、学業成績の向上や、経済的理由による中退の抑制に繋がる可能性があります。
一方で、無償化制度には多くの場合、学業成績に関する維持要件が設けられています。これは、公的資金の効果的な活用と、学生の学業へのコミットメントを促す目的がありますが、成績基準を満たせない学生は支援を打ち切られるリスクに直面します。もし、成績基準を満たす能力が、入学前の学力や家庭環境に由来する学習習慣など、教育格差と関連性の高い要因に影響されるとすれば、この維持要件が新たな選抜圧力となり、経済的支援を受けて入学したにも関わらず、学業継続が困難になる学生層を生み出す可能性も否定できません。
データから見る学業成果格差の様相(データに基づく分析姿勢)
政策導入後の実際のデータに基づいて学業成果格差を分析することは不可欠です。具体的には、無償化制度の対象となった学生と、対象外の学生、あるいは制度導入前後の比較を通じて、以下の点を検証する必要があります。
- 学業成績の推移: 学生のGPA(成績平均点)や単位修得状況が、世帯所得、保護者の学歴、出身高校の種別(公立・私立、地域)、入学前の学力テストの結果など、教育格差に関連する変数とどのように相関しているか。無償化支援の有無や給付額によって学業成績に差が見られるか。
- 留年率・中退率: 経済的理由による中退が抑制されているか。しかし、学業不振や大学への不適応を理由とする中退はどのように変化しているか。特に、無償化支援対象者の中で、支援を打ち切られた学生のその後の学業継続状況や中退率。経済的に困難な状況にありながら、成績維持要件を満たせずに支援を失った学生が、学業を継続できなくなるケースが増加していないか。
- 卒業率: 大学種別や学部・学科によって卒業率に差があるが、無償化政策は全体の卒業率に影響を与えているか。特に、これまで卒業率が比較的低かった層(例えば、経済的に困難な学生が多いとされる大学や学部)において改善が見られるか。
これらの分析には、大学が保有する学生個々の学業データと、学生支援制度の利用状況、さらに属性情報(個人が特定されない範囲で、世帯収入階層や出身地など)を連結した詳細なデータセットが必要となります。先行研究では、経済的支援が学業成績に正の影響を与えるという結果も報告されていますが、その効果の程度や、どのような学生層に効果が大きいかは、支援の形態(給付型か貸与型か、金額)、大学の種別、学生の属性によって異なるとされています。
学業成果格差を生む複合的要因
大学無償化による経済的支援の効果が見られる一方で、学業成績や卒業率に依然として格差が見られる場合、それは経済的要因以外の要素が強く影響していることを示唆します。主な複合的要因として以下が挙げられます。
- 入学前の学力・学習習慣の格差: 高等学校までの教育機会の差や家庭での学習支援の有無が、入学時点での基礎学力や学習習慣に大きな差を生むことがあります。大学の授業についていくための前提となる能力が不足している場合、経済的な支援だけでは学業上の困難を克服することは難しい場合があります。
- 非認知能力: 目標設定能力、自己調整能力、粘り強さといった非認知能力は、高等教育における学業継続や成功に大きく寄与するとされています。これらの能力は、家庭環境や生育歴によって育まれ方に差が生じやすいとされており、大学無償化だけでは解消しにくい格差要因となり得ます。
- 家庭環境・文化的資本の継続的影響: 保護者の大学教育への理解度、学習に関する情報提供の有無、家庭内での知的な刺激といった文化的資本は、学生の学習意欲や大学生活への適応に影響を与えます。経済的な制約が緩和されても、こうした非経済的なサポートの差は学業成果に影響を及ぼし続ける可能性があります。
- 大学側の教育・学生支援体制: 学生の多様化に対応できる質の高い教育提供、個別の学習支援、メンタルヘルス支援、キャリア教育など、大学側の体制も学生の学業成果に大きく影響します。経済的に困難な学生や、入学前の準備が十分でない学生が多い大学において、これらの支援体制が不足している場合、学業成果の格差はむしろ拡大する可能性も考えられます。
課題と今後の展望
大学無償化政策は、教育格差の是正に向けた重要な一歩ですが、学業成果における格差が示唆するように、経済的な障壁の解消だけでは十分ではありません。学業成績要件の設計については、学生のモチベーション維持と選抜機能のバランス、そして困難を抱える学生へのセーフティネットの観点から、より慎重な検討が必要です。成績不振の背景には様々な要因があり得るため、一律の基準ではなく、個別の状況に応じた柔軟な対応や、学業改善に向けた具体的な支援とセットで運用することが求められます。
今後の高等教育政策においては、経済的支援と並行して、入学前の学力格差や非認知能力の差に起因する学業上の困難を克服するための支援策を強化する必要があります。例えば、大学における基礎学力補強プログラム、学習カウンセリング、ピアサポート、そして多様な学生のニーズに応じた教育方法の開発などが挙げられます。また、高校段階からのキャリア教育や学習支援を充実させ、大学進学後に必要となるスキルや心構えを育成することも重要です。
政策評価においては、単なる進学率だけでなく、学業成績、卒業率、さらには卒業後の進路といった学業成果に関する指標を継続的に追跡・分析し、教育格差の変容を長期的な視点から捉えることが不可欠です。これにより、政策の真の効果と課題を明らかにし、より実効性のある教育格差是正策へと繋げることが可能となります。
まとめ
高等教育無償化政策は、経済的な観点から教育機会の均等化に寄与するポテンシャルを持っています。しかし、学業成績や卒業率といった学業成果に見られる格差は、教育格差が経済的側面に限定されず、入学前の準備、非認知能力、家庭環境、大学の支援体制といった複合的な要因によって生じることを改めて示しています。政策の実効性を高めるためには、経済的支援に加え、学生が大学教育の課程で直面する学業上の困難に対する多角的な支援を強化し、学業成果における教育格差の縮小を目指すことが求められます。これは、教育格差是正に向けた継続的な取り組みにおける、重要な検討課題と言えます。