大学無償化政策における学業成績要件が教育格差にもたらす影響:選抜機能と機会均等のトレードオフ
はじめに
教育格差の是正は、現代社会における重要な政策課題の一つです。大学無償化政策は、経済的理由により大学進学や修学継続を断念せざるを得ない状況を改善し、全ての学生に等しい高等教育への機会を提供することを目的として導入されました。しかしながら、現行の高等教育の修学支援新制度においては、世帯収入要件に加え、学生本人の学業成績に関する要件が定められています。本稿では、この学業成績要件が教育格差に与える影響について、制度の持つ選抜機能と教育機会均等の観点から多角的に考察いたします。学業成績要件が制度の目的達成にどのように作用するのか、あるいは新たな格差を生み出す可能性はないのか、専門的な視点から分析を進めます。
高等教育の修学支援新制度における学業成績要件
高等教育の修学支援新制度は、授業料・入学金の減免と給付型奨学金の支給を柱としています。この制度の対象となるためには、世帯収入や資産に関する要件を満たすことに加え、学生自身の学業成績に関する要件を満たす必要があります。
新規申請時においては、高等学校等における評定平均値が一定水準以上であること(通常5段階評価で3.5以上)などが基準とされます。ただし、特定の学習意欲や目的、将来の計画を有する学生については、この基準を満たさない場合でも対象となり得ることが定められています。
また、制度による支援を継続して受けるためには、大学等に入学した後も学業成績に関する基準を満たす必要があります。具体的には、原則として各年度末において厳格な成績評価が行われ、支援継続の可否が判断されます。例えば、修得単位数が標準単位数未満である場合や、GPA等の成績が基準を下回る場合には、警告や停止といった措置が取られることになります。この継続要件は、支援が税金によって賄われていることから、学生に一定の学業継続努力を求める趣旨が含まれていると考えられます。
学業成績要件が教育格差に与える影響
学業成績要件は、大学無償化政策が教育格差に与える影響を複雑化させる要因となり得ます。その影響は、主に以下の側面から考察できます。
1. 選抜機能とスクリーニング効果
学業成績要件は、制度の対象となる学生を一定の学力水準でスクリーニングする機能を有しています。これは、限られた財源の中で支援効果を最大化し、将来的に社会に貢献し得る人材育成に資するという政策意図に基づくものと考えられます。しかし、この選抜機能が教育機会均等の観点から課題を提起する場合があります。
2. 入学前の格差の再生産リスク
学業成績は、学生本人の努力に加え、高等学校までの教育環境、家庭の経済状況や文化資本、非認知能力など、様々な要因によって規定されます。先行研究は、親の社会経済的地位が子の学力に強い影響を与えることを示しています。学業成績要件を設けることは、既に存在する入学前の学力格差を前提とし、経済的困窮というハンディキャップに加えて学力面での困難も抱える層を制度から排除する可能性があります。これは、制度の主たる目的の一つである教育格差の是正に逆行し、既存の格差構造を再生産または固定化させるリスクを内包しています。
3. 「頑張れば報われる」メッセージの限界
学業成績要件は、「努力すれば報われる」というポジティブなメッセージを学生に送る側面もあります。しかし、前述の通り、学業成績は単なる努力量だけで決まるものではありません。家庭の経済状況が厳しく、アルバイトに多くの時間を割かざるを得ない学生や、恵まれない教育環境で育った学生にとって、一定水準の学業成績を維持することは容易ではありません。このような構造的要因による困難を無視した一律の成績基準は、「努力不足」の烙印を押すことになりかねず、学生の自己肯定感や学習意欲に悪影響を与える可能性も指摘されています。
4. 心理的プレッシャーと学業への影響
支援の継続が学業成績に依存することは、特に経済的に厳しい状況にある学生にとって、学業に対する過度の心理的プレッシャーとなる可能性があります。このプレッシャーが、かえって学業成績の低下を招くという負の循環を生み出すケースも考えられます。本来、経済的負担の軽減は学生が学業に専念できる環境を提供することを目的としますが、成績要件がその効果を相殺してしまう可能性も十分に検討されるべき論点です。
5. 支援対象外となる学生への影響
所得要件は満たすものの、学業成績要件を満たせない学生や、成績要件の存在によって制度利用を躊躇する学生も存在します。これらの学生は、制度の網から漏れることになり、実質的な教育機会の格差に直面します。また、成績評価基準が画一的である場合、特定の評価軸では測れない多様な能力や意欲を持つ学生が排除される懸念もあります。
国際比較からの示唆
諸外国の高等教育支援制度においては、日本と同様に所得基準と学業成績基準を組み合わせている国もあれば、経済的ニーズに特化し、学業成績要件を設けていない制度も存在します。例えば、米国の一部の州におけるニードベースのグラント(給付型奨学金)は、主に家計の状況に基づいて支給され、入学後の成績継続要件も比較的緩やかである場合があります。一方、メリットベースの奨学金は学業成績を重視しますが、これは必ずしも教育機会均等のみを目的とするものではありません。国際的な事例を比較分析することで、学業成績要件が教育格差に与える影響に関するより深い知見や、異なる制度設計の可能性について示唆を得ることができます。学業成績要件の厳格さと教育機会均等の達成度には、トレードオフの関係が見られることが多く、各国はそのバランスをどのように取っているか、詳細な制度設計とその効果に関する国際比較研究は、日本の制度を検討する上で極めて重要です。
課題と今後の展望
学業成績要件が教育格差に与える影響を考慮すると、今後の政策検討においていくつかの重要な課題が浮かび上がります。
第一に、学業成績要件の公平性と妥当性に関する継続的な検証が必要です。学業不振の背景には、経済的困窮だけでなく、家庭環境、学習支援へのアクセスの格差、心身の健康問題など、様々な要因が複雑に絡み合っています。これらの要因を十分に考慮しない一律の基準は、真に支援を必要とする学生の一部を排除してしまう可能性があります。
第二に、学力評価方法の多様化や、成績以外の評価基準(学習意欲、目標設定能力、非認知能力など)の導入を検討する余地があると考えられます。教育の目的は単なる学力向上に留まらず、学生の全人的な成長を促すことです。多様な評価基準を用いることで、多角的な視点から学生の可能性を捉え、支援対象をより適切に選定できる可能性があります。
第三に、成績要件を満たせない場合のセーフティネットや、成績不振に陥った学生に対する個別支援の強化が不可欠です。経済的支援だけでなく、学習面や生活面における包括的なサポートを提供することで、学生が学業を継続できる環境を整備することが求められます。
まとめ
大学無償化政策に組み込まれた学業成績要件は、制度の効率性や学生の学業へのインセンティブという側面を持つ一方で、既存の学力格差を再生産したり、経済的困難を抱える学生に過度のプレッシャーを与えたりするなど、教育格差是正の観点から複雑な影響をもたらしています。この要件は、支援対象者の選抜機能として働き、教育機会均等という政策目標との間でトレードオフの関係を生じさせていると分析できます。
今後、大学無償化政策が真に教育格差の是正に貢献するためには、学業成績要件がもたらす影響について継続的に評価し、その運用や基準について柔軟な見直しを検討する必要があります。学業成績のみに依拠するのではなく、学生の多様な側面を評価する仕組みの導入や、成績不振の背景にある構造的要因への配慮、そして成績要件を満たせない学生への代替的な支援策の検討が、今後の重要な論点となるでしょう。これらの課題への取り組みを通じて、教育機会の平等がより実質的に保障される社会の実現を目指すことが求められています。